アルカトラズ島の戦闘(サンフランシスコ)1946年に起きた大事件 - とある台湾観光の旅行記録

アルカトラズ島の戦闘(サンフランシスコ)1946年に起きた大事件

サンフランシスコのアルカトラズ島のオーディオガイドツアーが続きます。今回の記事では、実際に1946年にここアルカトラズ島であった事件、「アルカトラズ島の戦闘」を中心にご紹介したいと思います。

極悪犯が捕らえられていることの多いこのアルカトラズ島の刑務所。そんな刑務所だからか、30年間刑務所として利用されている間に14回の脱獄事件があり、36名もの囚人が脱獄に挑戦したんだそうです。そのうち、23名は捕まってしまい、6名が射殺・2名が溺死・5名が行方不明なんだとか。

今回ご紹介する1946年に起きたアルカトラズ島の戦闘はその脱獄事件の中でも、最も大規模であったと言われているものです。6名の囚人が関わったもので、看守も2人が死亡・18人が負傷してしまったんだそうです。では、写真と共にこの事件を見ていきたいと思います。

もう66年も経つっていうのに、結構生々しい跡が残っているのね。

書斎

まずは今回の事件に関係ない書斎からのご紹介です。囚人は一定の条件の元外からの本を読むことが許されました。その中でも、大学の通信講座を受講することもできたそうで、服役期間中に農業を勉強し、期間の終了後実際に農業に従事した囚人もいたんだそうです。

ガンギャラリー

ここは看守が監視に立った「ガン・ギャラリー」という場所です。1946年のアルカトラズ島の戦闘ではここから看守が銃を撃ったとされています。策略もあって、囚人達は最終的に銃と監房の鍵を手に入れることに成功し、看守達との銃撃戦となります。しかし、監房の鍵を手に入れるものの、運動場へ出る鍵を見つけることには失敗し、反乱は2日後に鎮圧されることとなりました。

名誉の看守

この戦闘で亡くなった看守が紹介されていました。囚人側の人質にされてしまった彼は何とか鍵を隠し、囚人達が脱走するのを防いだんだそうです。彼の勇敢な行動によって、脱走が阻まれたということを私たちは忘れてはいけないですね。

銃撃戦の跡

看守と囚人の銃撃戦の跡は、今でも床などにはっきりと残っています。こんなの見つけられない!という方も、ちゃんとオーディオガイドツアーがこの場所を指示してくれるので、間違いなく見つけることができると思いますよ☆

囚人達が逃げ込んだ場所

最後に残った囚人は、ここの水道管の所に逃げ込むも最終的には看守に捕まりました。最終的に、囚人側は戦闘で3名が死亡、2名が死刑となったようです。

サンフランシスコの景色

近くには、サンフランシスコの街が見渡せる窓がありました。当時からあったものかはわかりませんでしたけど、脱走した囚人はこのサンフランシスコの景色をどのような思いで見たんでしょうね。

面会用窓

さて、話変わりまして、ここはアルカトラズ島で来客が面会をするための窓なんだそうです。日本の刑事ドラマなんかで見る窓よりもさらに厳重な気がします。さすが、アルカトラズ島ということなんでしょうか。

面会のルール

面会にはこのように色々なルールが定められていたようです。面会できる時間は午後1時半から3時10分の間とか、体を触ってはいけない、相談してはいけない・・など色々ありますね。いくら重犯罪を犯したとはいえ、家族から見ると大切な家族、「犯罪を起こした人なんてうちの家族じゃありません!」みたいな人ばかりではなかった・・ということでしょう。

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